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コロの葬式

愛犬コロ、長い間ありがとう!

昨年の12月家で飼っていた甲斐犬のコロ
がなくなった。
いつも、家に近づくと姿が見えないところに近づいても
クウーンと甘えたような声をたてて迎えてくれた。
そんなコロがだんだんと家に近づいても
極端な場合は、寝ているそばにいっても
振り向きもしなくなった。
耳が遠くなったのだと思う。
それでも、散歩に連れて行くと
うれしそうに懸命に歩いていた。
そんなコロに異変が起こった。
ご飯が減らなくなり、近づくどころか
身体に触ってようやく気が付くようになってしまった。
そして、とうとう身体に触っても起きなくなってしまった。
いつも診てもらっている獣医のところに
連れて行ったら、即、入院となった。
入院してから最初の日曜日、病院を訪れた。
コロに手を当てると顔だけをこちらに向けたが
身体は横たわったままだった。
うつろなまなざしでこちらを見ていた。
点滴の管がつながった足がわずかに動く程度だった。
先生によろしくと言って、その日は獣医のところから帰った。
翌日の朝、電話のベルが鳴った。妻が電話を受けた。
なんとなくいやな予感がしたが、やっぱり獣医からの電話だった。


「今朝、コロが亡くなった」
電話を受けた妻からコロの亡くなったことを聞いた。
最初に「よわったな」と思った。
コロが生まれたばかりのときにもらってきた私の長女に
なんと言おうか迷った。
長女はコロの耳が聞こえなくなり歩くときにビッコを引くようになってから
犬小屋を手入れしたり、ドッグフードを買ってきたり、
家族の中で最も世話をしていた。
もともと家の外で番犬として飼っていたが
歩けなくなると家の中に入れて世話をしたのも長女だった。
それだけに、コロの亡くなったのを伝えたときの反動が怖かった。
しかし、隠す訳にもいかないので、「コロが亡くなったので迎えに行く」と伝えた。
一瞬緊張した様子で聞いていた長女は小さくうなずいた。
反応がそれほどでなかったのでちょっと安心した。
私と妻と長女の3人で迎えに行った。
コロは寝ているように横たわっていたが
口元から舌が出てだらんとしていた。
顔に手をやっても反応は無かった。
獣医の先生が「まだ亡くなったばかりです」
「手を尽くしたのですが・・・」と言うような
ことを言ったように記憶している。
実際良く見てもらっていた。
しかし、16年ぐらい経っているので
寿命だったと思う。先生も「長く生きた」と言っていた。
さっきまで気丈だった長女がコロを抱いた。
気丈がうそのように泣き出した。
長女は、コロを家に連れてきてもずーっと泣きどおしだった。
私はどのように声をかけたら良いか分からなかった。
とっさに「コロのお墓を作って弔ってやろう」と長女に言った。
私は神仏を信じていない。しかし、長女を納得させるために
とっさに出た言葉だった。
長女は泣きじゃくりながらこくっとうなづいた。
納得してくれたのだ。
私は早速、コロのいた場所に墓穴を掘った。
連れ帰ったコロを布に包み、長女に最後のお別れを促し
土をかぶせた。そして、コロの家を補修するために買ってあった
材木に「コロのお墓平成12年12月24日」と書いて
墓碑とした。お線香をたき、改めて長女、妻と冥福を祈った。
長女はその後自分の部屋に戻り、布団の上で一日中泣いていた。


あれから、一ヶ月が過ぎた。
コロのお墓は、家の玄関の近くにある。
家に帰ると、今でもコロがいる錯覚を受ける。
朝起きて、新聞を取るとき、ついコロの方を見る。
長女はいつもどおり仕事に行き泣きじゃくったのが
うそのように毎日を過ごしている。
私はコロの死を通して葬式の意味が
少し分かったような気がした。


もし、葬式がなかったら、あの時長女をどのように慰めただろうか。
また、自分でも、そうなることがわかっていたが
コロの死をどのように受け入れただろうか。
お墓を作り、死者を弔うことは自分や
周囲のみんなに死によって現在の世界から
意識の中で死によっていなくなることを
納得させる非常に合理的な行動だと感じた。
もし、このようなことのために神仏があるとしたら
神仏は人間や動物に生と死がある限り
永遠に人間の精神世界に存在し続けるだろう。
今コロは家の一角に埋葬されている。
手書きの墓標は、私にとって神聖なものになっている。
単なる柱なのに、おそらく長女や妻にとっても
コロの墓は、おそらく今後荒らしては成らない
聖域になったことと思う。

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