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地図に見る富士吉田市の変遷 | |
「富士山なんでも館」を創ろうと色々古い物を集めだした。 その中に古い地図がある。昔、まだ今の80歳位の人の記憶に残っている位の昔、明見や富士見町の通りには中央に川があった。その川の記載されている地図は無かったが、明治と思える時代と昭和4年、同26年頃の地図があった。その富士吉田市の部分を比較掲載した。 |
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上は鉄道が通っていないので明治時代の地図と考えられる。 山梨鑑事務所というところが作成した地図である。 富士吉田市の前身の瑞穂村、福地村、明見村などの名称が読める。 具体的な作成年は不明(村名から明治21年〜明治30頃と思える)。 現在の下吉田周辺には集落がほとんどない。 |
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上は大正14年の地図で馬車鉄道の軌道が鳴沢方面まで走っていることが分かる。(山梨県県勢一覧「大正15年山梨県発行」より) | |
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上は昭和4年の地図である。(大日本帝國陸地測量部発行「山中湖」5万分の1より) ちょっとデーターを少なくしたために分かりにくいが富士吉田まで鉄道が通っている。富士急行の前身の富士山麓電気鉄道となっていて、月江寺駅はまだない。富士吉田市はまだなく、前身の瑞穂村の名称が見える。 |
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上は昭和26年の地図である。富士吉田市になっている。 鉄道はまだ富士吉田までである。 (地理調査所発行「山中湖」5万分の1より) |
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上は昭和27年河口湖まで線路が延長された。 右側の黒い縦線はコピーの汚れ。原本が折れていることによる。 (地理調査所発行「山中湖」5万分の1より) |
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上は小さくなってしまったが昭和43年の富士吉田市である。 高速道路も河口湖インターまでできている。 (講談社日本の文化地理8付図から) |
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わずか100年の間に大変な変わりようである。 80歳位の人に聞いても、もう明治のことは記憶の外である。 でも大正後半、昭和以降の記憶はこれらを見てもらうことで鮮明に浮かび上がってくるようである。上の範囲には無いが、昭和26年の地図には山中湖へ行く途中の競馬場が出ている。60歳から80歳位の人に聞くと「親に連れて行ってもらった」など話を聞くことができる。 昔を振り返ってもどおなるものでもないと思うが、最近著者は無性に過去を懐かしく思うようになった気がする。 なお明治21年の富士吉田市の地図(2万分の1)が1998年小学館発行の「地図で見る100年前の日本」に載っている。このホームページには載せてないが一番上の地図と同じ時期のものである。 それによると、一番上の地図はかなり省略されていることが読み取れる。 昔の地図を読むときは、このように地図の信憑性もチェックする必要がある。しかし、昔のみんなで雑談するときにはどのような形でも非常にうまい魚となる。あなたのところには昔の地図ありませんか。コピーさせていただけたらぜひご一報下さい。 |
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