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もう一つの富士登山日記
高山彦九郎富士山紀行

富士登山の記録はたくさんあると思いますが、あまり知られていないと思われる
富士山紀行があるので紹介します。
1780年安永9年6月10日〜7月22日にかけて群馬県太田市出身の
高山彦九郎が富士山に登山した日記である。
6月10日「早に起て浴し・・禮服を付て旅装し立つ」
この後高林、利根川、熊谷・・・上野原、大月を経て
13日には吉田に入っている。
「谷村から一里半小沼宿・・・下吉田愛染のこなた橋を二ツ渡り下吉田に入る
町並也、爰も千軒斗有りといふ、松の並木一丁斗りありて上吉田也、町を入り
二丁斗にして・・・上吉田町中石道也」
と4日で群馬県太田から吉田に入っている。
この後に「浅間諏訪両社の祭り毎年7月21、22日の両日あり、町中家毎に21日
の夜には・・・かがりを焼く、高さ一丈或は三四尺大なるは一丈八尺におよべリ、
太さ二かい或は三かいにおよべるもあり・・・」と火祭りのことなどに言及
そして富士山に向かい14日五合五尺の穴小屋に泊まり15日雨で六合石室に泊まる
17日山頂、須走り口に下山、御殿場、足柄峠、平塚・・・江戸から21日に帰郷している。
実際の文書はA4で36ページ分にも及ぶ詳細な記述で興味ある内容だが
ここでは、ものすごく簡単に紹介しました。
この富士山紀行は現在出版されていないと思いますが
西北出版鰍ェ昭和55年に「高山彦九郎日記」(1〜5巻)の中に収録されています。
今回、その一部を紹介しました。
そのうち時間がとれたら、もう少し詳しく紹介したいと思っています。


上:小沼の身禄茶屋(明治41年富士山スケッチより)

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