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大明見の水車
昔、大明見の大通り中央に川が流れていた。
そこには水車があった。高価な水車は数軒で設置し、
交代で粉引きや精米を行った。
「電灯なんてなかったから、夕方に米搗きをして、取りに行く頃は
真っ暗になって、怖かったよ」大正生まれの人はこう話してくれた。
「水車の先に四つの杵が付いていて、お米をついたものだよ。」
下の絵は明治41年の「富士山スケッチ」の1つだ。大明見の川は
私の記憶にあるが、水車の記憶はない。
水車は、大正から昭和にかけて、電気の普及とともに、その役割を終えた。
今は、下のような絵や高齢の人の記憶にしか残っていない。
この頃は、この川にも蛍がいて、うちわで蛍を追いかけて遊んだ。
お祭の時、川の右側を2頭の裸馬で競争し、勝者にはお米などの賞品を出したのも
この頃だ。2003年の今、この南側の裏の小川に蛍を復活させる活動が続いている。
昔懐かしい一枚の絵が色々なことを思い出させてくれる。
やがて懐かしさを思い起こす人も消えていくだろう。
しかし、ひと時を昔話で楽しむ時、この一枚の絵が、昔を呼び戻し
われわれに新しい記憶を刻んでくれる。
今度は自分たちが次の世代につなげて行きたいものである。
確かな歴史の足跡として。
水車については富士吉田市史研究第6号(1991年発行)に「富士吉田市域における
水車動力と電力の普及」として詳しい記述がある。
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