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 2014年7月

 雲雀ヶ丘スキー場
  
一枚のスキー場写真を追いかけて

↓ 「富士山のふしぎ100」P126に紹介された雲雀ヶ丘スキー場
上の写真の説明欄に「大沢くずれが見えていることから、現在の朝霧高原あたりのようだ」と解説されていたが、富士山の雪の状態は鳴沢方面なので、本当はどこにあったのか調べ始めたのが大変な作業の始まりでした。
スキーが日本に持ち込まれたのは明治の終わり(岳麓漫歩四富士山スキーとその周辺),上の写真もその後撮影されたものと考えられます。また、大正時代に入って皇太子(裕仁親王)が精進湖に来遊した大正11年(1922)10月3日鳴沢村は道路未開発のため西湖経由で河口湖から精進湖に入っています。この来遊を契機に鳴沢村から精進湖の道路が開発されたのが大正15年だそうです。(鳴沢村史第一巻P677)これ以降鳴沢村周辺の観光開発が進んだと記載されていました。
すると上記写真はこの頃かもう少し後と考えられます。
下の地図は昭和9年の富士山麓周辺のスキー場地図です。(富士山麓電鉄発行)ここには鳴沢高原スキー場と長尾山近くが赤い塗つぶしで示されています。この地図の赤丸に矢印は著者大宮がつけたものですが、ここが当時雲雀ヶ丘と呼ばれていた場所です。
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上の地図には残念ながら雲雀ヶ丘スキー場は表示がありませんでした。ここの交差点は現在「ひばりヶ丘」交差点と表記されています。現在の住宅地図(上右)にも表示されています。
また上左の写真は少し前まで営業していたひばりヶ丘ドライブインの建物跡です。現在は廃屋となっていますが看板の一部が読み取れます。

下の二枚の写真は左が雲雀ヶ丘スキー場。右は昭和10年宮崎緑氏が紅葉台から富士山を撮った写真です。矢印BCを比べるとほぼ同じ方向から撮ったと言えます。
左Aの白い場所は二合目スキー場です。
二合目スキー場は現在の天神山スキー場(フジテン)の高さで少し東側にありました。
下は当時の二合目スキー場写真と場所の写真です。(鳴沢村1962村勢要覧より)
富士山を仰ぎ見る角度がフジテンスキー場に似ています。
これから見ると上の雲雀ヶ丘スキー場はもっと下から富士山を見ているので現在のひばりヶ丘あたりが妥当です。
以上の考察から最初の雲雀ヶ丘スキー場は「朝霧高原あたり」でなく「鳴沢村」にあったと言えます。
下は紅葉台からの写真(鳴沢村1983村勢要覧)ですが赤丸の周辺がひばりヶ丘です。字は焼間ですので雲雀ヶ丘は俗称です。
戦前鳴沢村小学校に通っていた古老の話だとこの辺りは雲雀が多くいて良く鳴き声を聞いたので雲雀ヶ丘と呼んでいたそうです。
今は雲雀を見る機会が少なくなりましたが残していきたい愛らしい呼称ですね。
参考に鳴沢村周辺のスキー場地図を載せます。
下左は昭和10年地図、右は昭和21年地図です。過去にも富士北麓はたくさんのスキー場がありました。
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