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中央に川が流れ

碁盤目の通りをもつ街だった富士吉田市大明見(あすみ)
富士吉田市大明見の大通り・・・・そこは昔中央に川があったって知っていた?

左は平成12年12月、ある日の大明見です。

写真左の通りは現在、車道の両側に歩道を配し

非常に広い道路です。

昔、この中央に川が流れていました。1尋(ひろ)ぐらいはあったのでしょうか。この川から碁盤目の道にある小さな川に配水されていたようです。

大通りの川の両側に沿道がありました。

川を埋めたのはそんなに昔でないので、まだ記憶にある方が多いと思います。

川は埋まりましたが、現在も大明見は碁盤目の街です。

上の写真の通りの先に浅間神社があります。

右の写真はその少し手前のお店です。

昔、通りの真中に川があった頃、時代はさかのぼり、現在より50年以上昔、上の写真の山梨中央銀行の手前からこのイワタ屋さんの前まで馬とばっかしがあったそうです。

大明見の馬とばっかしは2頭が競争したそうです。勝者にはお米とか反物が賞品として与えられました。

これらの馬は裸馬で、各家庭の農耕馬が使われました。実施されたのは毎年9月15日頃のお祭の日だったそうですが、現在ではこのお祭があるかどうか調べてありません。何でも当時は屋台も出てにぎやかなお祭だったそうです。(「おてんのう様」と呼んでいたようですが、それが9月15日の祭かどうか未調査です)そんな通りの真中をきれいな川が流れるなんて、今考えると情緒がありますね。(川がそのままだと、車は通れず埋めてしまったのかも知れませんがちょっと残念ですね。)その当時、夜になるとその川べりをホタルが舞い、ろうそくを手にして、そのホタルを追いかけて遊んだそうです。

現在でも、この近くの山際にはホタルを観察できます。

下の写真はそんな当時の大明見と富士山の写真。(一部加工しています)

現在背戸山(西尾共同墓地)と呼ばれるお墓のある山から大明見南側を見下ろしています。

(写真提供:下吉田Oさん、昭和のはじめ頃、一部加工しています)

また、ほぼ同じ位置からの現在の写真を撮りました。比較してみてください。

上:昭和初期背戸山からの大明見 下:現在平成12年12月の大明見

10月から11月は仕事が忙しく、富士山の取材があまりできませんでしたので、全く別の視点からページを作成してみました。現在少し昔の富士五湖と富士山の情報を集めています。「昔はこんなだったよ」とか「古い写真を持っているよ」などお話をお聞かせいただける方、ご一報ください。

このホームページでご紹介させていただければありがたいです。