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私が物心ついた頃には、すでにテト馬車と呼ばれる鉄道はありませんでした。 |
大正3年の「鉄道旅行案内」に出ていた大月〜御殿場までの鉄道が描かれた地図。これは馬車鉄道と思われる。 |
現在上の鉄道の跡は残っていないようですが、上吉田から鳴沢に通っていた材木を搬送するための鉄道跡は林の中に残っています。 (今回この軌道の写真を見つけたので紹介します。) 下の白黒写真です。鳴沢村他の恩賜林組合の事業報告書(昭和8年7月)に載っていたものです。これを見るとこの軌道は馬車でなく人力軌道ですね。この軌道跡は、当時の地図と現在の地図を重ねてみると現在の (2004.6.13追記) |
なぜテト馬車と呼ばれるのか分かりませんが ちなみに大正3年大月〜吉田の馬車賃は51銭だったそうです。 この頃はテト馬車が交通の花形だったのでしょう。 |
穂積館が配ったと思われる扇子に描かれたテト馬車 |
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