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百富士に描かれた富士北麓と富士
江戸時代の中期後半1767年河村岷雪が富士山を江戸、甲州、駿州など周辺から眺め、「百富士」(左写真:全四巻の内第一巻)と題した絵にして残している。そこには山中や吉田も出ている。北斎が富嶽三十六景を世に出した1831年のおよそ60年前のことだ。富嶽三十六景もそうだが、富士山信仰よりも富士の秀麗な姿に感動して世に残したいという絵が残されている。百富士の絵は富嶽三十六景程生活の姿はなく、全体としてラフではあるが富士山だけでなくその周辺を写実として残しているので当時を思い起こすのには貴重な絵だと思う。今回は、その中から吉田、山中、河口湖と山頂の絵を紹介する。
吉田山中の富士となっているが吉田よりは忍野からの富士のように見える。絵に添えられている歌は吉田口と書いてキタグチと読ませている。各絵に歌が添えられているのも百富士の特徴である。(第二巻より)
大石の富士となっている。鵜の島が描かれ、御坂峠からの富士のように見える。(第二巻より)
富士山頂の八つの峰が吉田口と須走り口の登山道とともに描かれている。(第四巻より)
百富士は当時人気があったようで、1767年の発売後、1771年、1785年に重版されている。上の写真は全て1785年発行の百富士(瑞穂通信蔵)からのものだ。それにしても江戸時代は車も鉄道もなく、要所要所には関所もあり富士山を一周するのも大変な時代に良くこれだけのものを描いたものと感心する。現在愛知県西尾市岩瀬文庫では、この百富士を含め北斎、広重などの残した富士山に関する資料を「ザ富士山」と題した企画展で展示している。(2004.1.27まで)興味ある方はぜひ見て欲しい。私も行きたいが、ちょっと遠いので、図録を取り寄せ楽しんでいる。岩瀬文庫には、このほか富士山に関する資料が豊富にある。資料一覧をいただいたので、次の機会に紹介したいと思っている。さすが富士山、調べれば調べるほど資料が湧水のように湧き出してくる。このまま収集を続けると一体どうなるのか、一抹の不安を抱きながら今年も富士山を富士北麓から紹介していきます。

(2004.1.元旦ラジオを聴きながら富士北麓にて:この記事を書くのに日本の美富士の「浮世絵に描かれた富士」を参考にしました)

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