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明治〜現在:

メディアなどに見る上吉田の変遷

上吉田は富士講などでにぎわったことからか写真などの記録が残っている。

ここでは、明治から今日までの変遷を写真などで見てみる。

上:写真1:諏訪の森近くからの写真と思える。出典は横浜開港資料館のベアト幕末日本写真集P90からだが、そこには「富士宮の村山」からだろうと記載されている。しかし、富士山の形はあきらかに富士吉田方面からの形となっている。富士山中腹やや右に農鳥がみえる。
上:写真2:上と同じベアト写真集のP91にある写真。現在の上吉田金鳥居より相当上から撮った写真だと思う。富士吉田市発行の「御山登り道」にも紹介されている。
上:絵1:明治31年頃の上吉田の様子。上のベアトの写真2にある道の段段は無く、用水路も道の脇に整備されている。出典:明治31年田中親美著「真写富士百図」(瑞穂通信蔵)
上:写真3:電信柱が無く、馬車鉄道のレールがあるので明治35年頃の写真と考えられる。出典:瑞穂通信所蔵のポストカード
上:写真4:明治45年頃の上吉田。電信柱が立っている。出展:小川写真製版所発行「富士山」より(瑞穂通信所蔵)
上:写真5:大正時代の上吉田、大正10年の消印が押されている。白壁のお蔵風の建物ができている。電信柱も道の両側に立った。

左:写真6:昭和45年頃の上吉田。今から32年前だがなんとなく現在に近くなっている。出典:毎日新聞社昭和45年発行「富士山」P115

下:現在の上吉田:平成12年夏撮影:街灯が整備されすっきりした。

ここ5年間収集してきたデーターの一部をまとめたものが今回の上吉田の変遷だ。50歳を過ぎた頃から無性に身近な過去を調べるようになった。馬車鉄道もその1つだ。今月の林業用軌道跡の散策路もその成果の1つだ。ふるさとへの帰巣本能のようなものかも知れませんね。忌憚のないご意見をお寄せください。

また、過去の写真や図などあればコピーさせて下さい。

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