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平成15年11月15日富士河口湖町の発足に際して
富士河口湖町の昔を写真で振り返る(その1) |
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今月発足する富士河口湖町の前身は現在の河口湖町、勝山村、足和田村と少し遅れて分離統合する上九一色村の一部だ。河口湖町は1956年(昭和31年)船津村、木立村、大石村、河口村が合併してできた町だ。勝山村は1892年(明治25年)河口村の前身だった大冨村他一ヶ村の組合村を改称して発足した。足和田村は1955年(昭和30年)西浜村と大嵐村が合併してできた村だ。(西浜村は明治22年長浜村と西湖村が合併)上九一色村は1889年(明治22年)九一色村が分離して発足した。このように振返って見ると生活の基盤となっている市町村も100余年の間に大変な変化をしている。また、当然ながら町の様子も大きな変化を遂げている。今回は、このような節目に瑞穂通信所蔵のポストカードやパンフレットで昔を振返って見たので紹介する。
上の写真は三つ峠から見た河口湖と西湖だ。富士を中心に円を描くように町が構成されている様子が分かる。(河口の湖畔の様子から昭和初期と思われる) |
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上の写真はパノラマ台から見た精進湖と樹海だ。昭和中期と思える。(元の絵葉書はカラー。上の両方の写真とも中央に縦すじがあるのは折り目) | |||||||
左の写真は清水緑さんと言う方が自費出版した写真集(昭和10年)から引用した昭和9年撮影の河口湖だ。現在河口湖美術館のある湖畔には何もない。 |
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右は足和田山から写した河口湖だ。昭和初期と思える。まだ小海、勝山村、木立村などの集落が分離している様子が分かる。(絵葉書) |
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