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のんびり散策北麓路:吉田口登山道

吉田口登山道富士吉田駅から浅間神社

(3)吉田うどん「はなや」から浅間神社
浅間神社

「はなや」から100m上ると国道138号にぶつかる。浅間神社に向かうにはここを左折し、山中湖方面へ進む。昔の参道もここで左折している。信号から380m程度で北口本宮浅間神社の入り口に着く。平成15年の初めまで浅間神社の前に「お休み所」と書かれた看板の家があったが、平成15年6月現在は取り壊されて更地になってしまった。写真を撮っておかなかったのが残念だと思っている。御師の家など特別の家でないと時代とともに古いものはどんどん消えていく。仕方のないことであるが、古い記憶を呼び起こしてくれるきっかけはどこかに残したいものである。境内に近づくと右手に石柱が並んでいる一角がある。富士講の参拝記念碑だ。すぐ境内の入り口になる。直前に右へ入り口があるが、こちらは車道の入り口だ。少し進んで境内の入り口に立つ。

後の雑踏がうそのような深い落ち着きのある世界が広がっている。鳥居を潜り前方を見ると、両脇に樹齢数百年の大杉がずらりと並び、枝が上空を覆っている。さらに参道両脇には背丈以上ある大灯篭がずらりと並んで迎えてくれる。街中にはない荘厳さが伝わってくる。この大灯篭の多くは江戸の富士講村上清光が寄進したものだ。六角形の灯篭で卍の印が彫られている。卍は仏教に用いられる「功徳円満」を表す記号なので明治時代に入ってすぐに行われた排仏毀釈でもこの記号を消すまでは徹底しなかったと思える。現在日本人が神も仏もキリストもあまりこだわらない流れはこの灯篭にも現れていると思える。灯篭に刻まれた寄進者の銘はすでに読み取れないものもある。それが時間を感じさせる。参道の途中に大きな礎石がある。ここに江戸時代まで仁王門があった。排仏毀釈によって仁王門が取り壊された名残だ。仁王門は絵図「富士山真景之図」を見ると隋神門(本殿の手前にある門)と同じようなつくりをしていたようだ。仁王門の礎石近くに「角行の立行石」(写真左)がある。丸い大石であるが、富士講開祖の一人「角行」がこの石の上に30日間立って修行した石と伝えられている。一歩一歩踏みしめながら参道を進む。参道の杉大木の根元を見ると葉に鍵のようなあざがある植物が目に付く。赤と白の小さな花を一本の茎に多数つける「ミズヒキ」(写真右)だ。登山道に入るといたるところにある花だ。ミズヒキは秋の花だが、葉の中央に茶色いカギ状のシミがあるので葉だけでもすぐ見分けられる。と言っても葉だけでは面白くないと思うが花は秋のお楽しみだ。初夏はシロバナノヘビイチゴやキツリバナ、少し山に入るとトリアシショウマなど、このあたりから登山道に多く見られる草花を観察できる。1999年8月号をご覧ください。

参道も終わり御手洗川に差し掛かる左手奥に昭和61年新設された鹿遊園がある。最近は毎年10月10日頃角切り祭りが行われている。鹿遊園の奥が駐車場になっていてお土産屋がある。ここでもうどんを出している。吉田うどんだが地元客が少なく、店の開いている間やっているので昼の時間帯とずれた場合でもここでうどんをたべることができる。もう一度参道に戻ろう。御手洗川を横切る石橋を渡る。御手洗川の水量は子供が落ちたら流されてしまうぐらいのものすごい水量だ。富士山には常時水が流れる川がない。雨が降っても地下に浸透してしまうのだ。だとすると、この御手洗川の水はどこから来るのだろうか。実は、上流へ遡っていくと新屋(あらや)地区の裏を横切り忍野村との境にある鐘山にたどり着く。忍野八海から流れている桂川の水を分流し引いているのだ。富士北麓地域で最大の湧水量を誇る忍野八海からの水なので、水量の多さもさることながら透き通るようなきれいな水だ。石橋を渡ってすぐ左右に唐犬が迎えてくれる。右の奥に稲荷社が奉られている。

石橋に続き大鳥居を通る。この大鳥居は国内でも最大級の大鳥居で木造では日本一の大きさと言うことだ。富士吉田の文化財第27集「御山登り道」によると「妙法寺記」の記録として1480年には建っていたという。60年に1度立て替えられる。前回の立替が昭和26年5月(1951年)なので次回は2011年だろうか。使用する木材の確保などなかなか苦労が多いと言われている。

石畳の参道を進むと石段の上に隋神門がある。隋神門の左右に弓矢を持って神社を守る隋神(「矢大神」「左大神」?富士吉田市歴史民俗博物館の説明資料「富士登山の基点」では両像を「アラハバキ隋神像」としそれぞれを随身倚像「右像」「左像」と呼んでいるので「矢大神」とか呼ばないのかも知れない。なお、現在の隋神像は後代の像で先代の像は平成15年6月現在展示会のために上記博物館にあった。)が配されている。江戸時代には参道途中に仁王門があり、そこに仏法の守護神として金剛力士が配置されていたと思われるが、明治の排仏毀釈で仁王門は取り払われ隋神だけが守護神として隋神門に残っていると考えられる。薄暗い隋神門の隋神をよくよく見ると誰か知っている人に似ていると思うぐらい俗人の顔をしていて神様とは思えない親しみを感じる。今度からは挨拶をして通ろうと思う。隋神門の柱や天井には無数のお札が貼られている。さまざまな地方からの登拝者があったことを物語っている。軒下には貘(ばく)や唐獅子と思える彫刻が彫られている。貘は中国で人の悪夢を食べる獣と言われている空想上の動物だ。神殿の四方の柱に彫られるこのような彫刻を木鼻と呼び草木や動物などあらゆるものが彫られるようである。隋神門の向こうには神楽殿と拝殿が見える。隋神門を抜けると神楽殿の前に出る。神楽殿では毎年5月5日初申祭に太々神楽(山梨県指定無形民族文化財、写真下)が奉納される。拝殿に向かって左手に手水舎(ちょうずや)がある。大きな水盤に龍の口から清水が絶え間なく注がれている。清水は3Km上流の「泉水」(せんずい)と呼ばれる湧水口から引かれた富士の地下水で非常にうまい水だ。本殿に向かって左に杉の大木があり「富士太郎杉」と命名され樹高30m余り、樹齢1000年余りと説明がある。山梨県の天然記念物に指定されている。右には桧の大木があり、「富士夫婦桧」と命名されている。拝殿の奥に本殿があり木之花咲耶姫を祀っている。現在の本殿は江戸時代に改修されたものだ。拝殿を出て本殿の左脇を奥に進むと東宮がある。本殿の右奥には西宮がある。本殿、東宮、西宮はともに国の重要文化財に指定されている。本殿に向かって神楽殿の右奥に諏訪神社がある。諏訪神社の拝殿横に富士山の形をした神輿(みこし)が置かれている。これが毎年8月26日に火祭りで繰り出される神輿の1つだ。諏訪神社拝殿の右には富士山の神木之花咲耶姫の乗る神輿が配置されている。これらはガラス越しにいつでも観覧できる。諏訪神社手前右には稲荷明神がある。諏訪神社から浅間神社に戻り、浅間神社本殿右を奥に進むと右側には下諏訪社など小さな祠がたくさんある。突き当りの階段下の石柱に「富士北口登山本道」と刻まれている。段の上に小さな鳥居があり、右の台座に富士講姿の石造が立っている。(写真右)ここが登山道の出発口となる。毎年お山開きのときここで祭事が執り行われる。この鳥居を抜けると広い諏訪ノ森に入る。

のんびり散策北麓路:吉田口登山道富士吉田駅から浅間神社終わり

次をお楽しみに

○01富士吉田駅→金鳥居 ○02金鳥居→はなや ○03はなや→浅間神社 ○04浅間神社→泉水 ○05泉水→馬返し 
                                     
(本文)
○06馬返し→鈴原神社 ○07鈴原神社→五合目 ○08五合目→六合目 ○09七合目 ○10八合目→山頂
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