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(9)7合目:行けども行けども七合目
(2005年時点の登頂記録を基にしています)

今回は七合目を御紹介します。

ここではトイレの話が2ヶ所出てきます。一ヶ所は昔ながらのトイレ、もう一ヶ所は近代的なトイレです。山日新聞2005.6.8によると鎌岩館、日の出館、元祖室、富士山ホテルが環境配慮型トイレを設置したそうです。このトイレは浄化槽や焼却式でし尿を処理するタイプだそうです。来年には殆どの吉田口山小屋でこのタイプのトイレを導入するとのことです。垂れ流しがストップする画期的年になりますね。維持管理が大切なので、利用者も協力をお願いします。
(2009年富士山の山小屋のトイレは全て環境配慮型トイレになっています。チップ制ですので小銭を用意してください)


地図はクリックで拡大します。

6から7合目は広いジグザグな登山道
富士山安全指導センターを中心にカーブした登山道はすぐに下山道との三叉路になります。左に下山道出口、右が登山道です。ジグザグですが、二人がゆったり並んで登ることが出来る程度に広い整備された登山道です。周囲は砂礫の肌にべったり張り付いた緑が破布のようです。オンタデ、イタドリ、フジハタザオなどの富士山特有の植物です。実際の斜面は20度前後の傾斜ですが、実感する傾斜はもっと急です。斜面の石が今にも転がり落ちそうです。六合目の山小屋は雲海荘別館ですが閉鎖されていました。ここから次の山小屋がある七合目までは距離があります。少し休んで行きましょう。
六合目から七合目の最初の山小屋「花小屋」までは距離があります。この間の登山道は鉄の格子に富士山の砂礫が詰め込まれた側壁で保護され、緩やかな傾斜を保つために大きなジグザグ形が七合目直前まで続きます。登山道からそれ程遠くない場所に登山道と並行するように赤茶色の砂防壁が築かれています。なんとなく味気ない景色ですがこれも現在の富士山の姿でしょう。五合目からの登山でもこのあたりで大勢の登山者が休憩を取っています。花小屋は近くに見えるのですが、なかなか近づきません。一時間近くでようやく花小屋の下にたどり着きます。ちょっとした岩場の上に山小屋があります。どこが登山道か分からない岩場ですが、白いペンキで矢印が書かれているのでみんなその方向に登ります。両側には鎖があるので、夜間もこの鎖をたよりに登れば良いでしょう。本当にホッとして、小屋前のベンチに座り込みます。水は山小屋で販売していますが2リッター程度は持参すると良いでしょう。小御岳の売店で買った金剛杖に焼印を押してもらいました。「佐藤小屋の焼印を押す場所を空けといたから」と言って下に少し空間を空けて押してくれました。各山小屋の焼印を押す場所も大体の決まりがあるのかなー。帰ってから焼印の場所を見ると、山頂の久須志神社の焼印は、山小屋の焼印とは反対側の手元に近い場所に押されていました。山小屋の焼印200円、神社の焼印(「つえ印」と書かれていた)300円。いよいよここからは岩登りに近い登山に入ります。

行けども行けども七合目
七合目「花小屋」の入り口には標高2700mと記されていました。ここから「東洋館」までの七つの山小屋を七合目と呼んでいますが、下から「花小屋」「日の出館」「七合目トモエ館」「鎌岩館」「富士一館」「鳥居荘」「東洋館」登っても登っても七合目には閉口します。「富士一館」の場所に標高2800mの表示があり、東洋館を過ぎると3000mの表示があるので、七合目は2700〜2900m前後を呼ぶのかと思います。昔の地図などでは、七合五勺と勺表示があります。国土地理院25000分の一の地図には御殿場口登山道に七合八勺、七合九勺の表示があります。こんな標識の方が分かりやすいし、だいたいの自分の位置が分かり、安心できる気がします。各小屋も「おらが七合目」と思っているので、勺がつくのを嫌っているのでしょうか。そう言えば須走り口登山道には「本七合目」、吉田口登山道にも「本八合目」「八合目」などの表示が目につきます。もともと「○合目」は厳密に決められていないと思いますが、「元祖○○」のような自称の「○合目」は前に「自称」をつけて呼ぶと混乱がないようにも感じます。「東洋館」あたりで「まだ七合目」と思うと、がっくりきてしまいます。登山者にやさしい表示を工夫して欲しいところです。

それにしても、花小屋から八合目までの小屋は全て断崖の途中に張り付くように建てられています。よくぞこんな場所に作ったと思える場所ばかりです。また、登山道も、殆ど道とは言えない岩場です。手袋が必要なゴツゴツした岩ですが、実際に触ってみるとツルツルしています。登山者が同じ場所を長年に渡り触り続けて、表面が磨かれたためのようです。昔から、こんな岩場を何十万人、江戸時代から数えると何百万人も登った証拠なんだと思いました。

山でのうどんは高いがうまい
「花小屋」に「うどん」700円とあり、丁度昼時でしたので、持参したおにぎりと「うどん」を食べました。「吉田うどん」ではなく、冷凍のうどんで汁は「さぬき」のようでした。日の出館には「うどん」600円とあったので、「失敗したなー」と思いましたが、五合目から登山して、はーはー汗をかいた後のあたたかい「うどん」は何者にも変えがたく、うまいうどんでした。最後の一滴まで全てたいらげました。花小屋の中には客が誰もいませんでしたが、小屋の中での休憩は有料(1000円/時間)で、うどんを注文した時、店のおねーさんは申し訳なさそうに、「小屋の中ではたべられませんけど・・・・」と断りを言いました。晴天で外の方が気持ち良かったので、外で食べましたが、天気の悪い時には、休憩料込みでかなり高い「うどん」になりそうですね。

岩陰に可憐なフジハタザオ、強い紫外線に注意
「花小屋」をでると、すぐゴツゴツの岩場です。30〜40°の傾斜がありそうです。道はないと言えるような岩場ですが、白地に赤い字で「登山道→」と岩場を指していました。くさりがついているので、その横が登山道だと思いますが、くさりがなければ、這ってよじのぼらないといけないような岩場です。岩場を登るとすぐに「日の出館」でした。「日の出館」入り口には「お食事」の看板がありました。「山菜うどん、カレーうどん、しょう油ラーメン、カレーラーメン600円、おでん、お茶漬け500円、カレーライス1000円、おしるこ、コーンスープ、コーヒー、ココア400円」この他に「水」「酸素」「リポビタン」「おにぎり」「飴」などを販売していました。お金さえ持っていけば、食事と水は手に入りますが、水は500円と高いので、そのつもりで準備が必要です。ここの焼印は丸い焼印で、「ここだけ」とありましたが、「花小屋」で焼き印したのでパス。小屋の壁はトイレまで石で囲われています。「石のよろいを着たトイレ」と言う雰囲気がピッタリでしたが、トイレは昔々の公園のトイレのように臭いがしていました。(この記事は2005年で、このあとトイレは大幅に改善している)日の出館から七合目トモエ館まではやや大きめの岩石がある砂礫層にしっかりとした登山道が作られていて、斜面にはミヤマハンノキ、オンタデなどの植物が繁殖して緑の多い一帯になっていました。足元にはフジハタザオがちょこんと咲いています。気分を楽にさせてくれる花ですね。次の「鎌岩館」まではやや距離がありました。途中に七合目救護所がありますが、7月中旬はまだ開所していませんでした。「鎌岩館」は大きな岩盤の上に建っていました。「鎌岩館」に向かう登山道からこの岩盤の断面を見ることが出来ます。次の「富士一館」までは、また急な岩場を登ります。今度は距離があります。「富士一館」から「東洋館」までが固まっているので、7.5合目とした方が分かりやすそうですが、やはり七合目となっていました。「鳥居荘」は観光案内の図書に「本七合目鳥居荘」とあったので、「われこそ七合目本家で、下は6.5合目」のような意見の違いがあるのかも知れません。すぐ横は赤黒い砂礫の急斜面ですが、登山道周辺は潅木と地面にはりついたオンタデなどの草が生えた岩場の道です。ところどころ岩場を整備した登山道になっていますが、殆どの行程は急な岩場の鎖に導かれた登山です。鎖のなかった(多分)江戸時代にはどこを通ったのだろうと不思議になります。「富士一館」には2800mの表示がありました。ここを過ぎると上の赤い鳥居が見えます。「鳥居荘」です。やや緩やかな岩場を登ります。山頂方向の黒い突き出た断崖に白いもやが掛かったかと思うまもなく、視界を真っ白な雲がふさいで、登山道周辺しか見えなくなりました。下を見ると六合目の小屋は雲の中です。汗は噴出すように出ていましたが、西からの風は冷たくなってきました。再び山頂方向を見ると、急に真っ青な空が現れました。雲が激しく動く中にいるようでした。午後1時頃だったでしょうか。登ることに夢中で時間は覚えていませんが、撮ってきたデジタル写真の撮影時間では午後1時5分でした。太陽は真上から強い日差しを降り注いでいました。雲に隠れると、丁度良い感じになります。今回の登山で、反省点の一つは、この陽光対策です。長袖のシャツ、帽子は持っていきましたが、日焼け止めはしませんでした。首筋の後ろと手首、鼻の頭を見事に日焼けしました。色が黒くなり、お風呂に入るとひりひりと数日間痛みました。

赤い鳥居の鳥居荘・・そのまんまじゃん
赤い鳥居があると、なんとなく神社が連想され、その入り口かと思いますが、鳥居荘の鳥居は単なる印のようです。鳥居荘のトイレは「本日11時25分清掃しました」とファミレスのような表示がしてありました。山小屋も近代的な経営になっているんだなーと感じられる一面です。ちなみにトイレは花小屋より上のすべての小屋でチップ制1回100円以上と表示されていました。鳥居荘から次の東洋館までの登山も岩山登山です。見上げるようにして急なゴツゴツした岩場にジグザグに作られた登山道を、鎖をたよりに前進します。急に緑が少なくなり、岩場のねずみ色が目立つようになりました。右側には赤茶色の急峻な砂礫が一直線に今まで登ってきた六合目方向に下っています。あそこを転がったら大変だろうなと思いましたが、昔は、この急峻な下りが砂走りの下山道だったようです。「富士山真景之図」の解説によると昭和55年まではこちらの下りが砂走り下山道で、落石事故がこの年あり、それ以降下山道は登山道東側に新設されたようです。富士山にはジグザグの登山道跡が無数に刻み込まれています。数百年にわたる登山道の変遷の記録であり、富士山から見ると人間による傷跡なのかも知れません。吉田口のこの急峻な砂礫層も長期的には現在の大沢のように深く侵食された沢に変貌するのでしょう。その意味では、現在の登山道は堅牢な岩場に作られた、人間の知恵の創造物なのかも知れません。

東洋館の看板には「海抜1万尺」とありました。1尺が30.3cmですから3030m。東洋館より少し上に標高3000mの標識があるので、だいたい1万尺ということでしょう。尺貫法からメートル法に変わった影響で影が薄くなった表示ですね。それにしてもあと少しで3000m、高所に変わりはありません。酸素も薄くなります。ひと休みして、身体を慣らしながら次の八合目を目指しましょう。酸素も山小屋で販売していますが、酸欠による高山病は、発症してから酸素を摂っても効果はないとのことですから、水分補給や食事、時間に余裕を持って高山病にならないよう心がけましょう。もし、具合が悪くなったら、途中でも下山しましょう。

それにしても、東洋館も七合目の表示は、「まだ七合目かよ」と気持ちを砕いて高山病を促進しそうですね。

(次回へつづく)

六合目から七合目に向かう
七合目最初の山小屋
七合目は岩場の登山道(拡大可)
山小屋(花小屋)のうどん
可憐なフジハタザオ
赤い鳥居はランドマーク
標高3000m(拡大可)
○01富士吉田駅→金鳥居 ○02金鳥居→はなや ○03はなや→浅間神社 ○04浅間神社→泉水 ○05泉水→馬返し 
                                                     

○06馬返し→鈴原神社 ○07鈴原神社→五合目 ○08五合目→六合目 ○09七合目 ○10八合目→山頂
                                                    
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